2001年8月1日
近藤 洋介
ネットは政治を変えるか
日常の活動でも、有権者の方に主張を聞いて頂いたり、十分に意見を交換できる機会は意外と少ない。私が活動している衆院山形第二選挙区の有権者数は約25万人。世帯数にしても9万戸ある。現在、1日平均で100件のお宅に訪問しているが、玄関先での会話は数分だ。「顔も見たことない人に投票できない」というご意見は理解できるし、時間のある限り、運動は展開したいと思う。街頭にも立っている。しかし、4年間あっても、すべて有権者の方に接触するのは難しい。当選して議席を預かる立場になれば、もはや不可能になる。
選挙期間中は一段と減る。第一、期間中の戸別訪問は公職選挙法で禁止されている。議会制民主主義の本家・イギリスは国会議員の選挙区も狭く、運動の基本とされているが、日本では駄目。「買収の温床になる」という妙な理屈を立てているためだ。
民意を反映するのが民主主義の基本だ。しかし、現実の政治、政策の決定は現場感覚を失い、有権者から離れている。「善処する」「前向きに検討する」といった永田町用語を使わず、わかりやすい言葉を使う小泉純一郎氏の人気が沸騰したのは、現実の政治への失望感の裏返しともいえる。しかし、「なんてたってアイドル」の小泉さんがいても、先の参院選挙の投票率も低迷した。政治の闇は深い。
インターネットは空間と時間を超えて、使い手をつなぐ双方向の情報・通信の手段として普及してきた。企業間の取引だけでなく、日常の生活にも深く入り込み、新しいメディアとなっている。昨年秋の加藤政局でのHPアクセス、首相官邸のメールマガジン登録ブームに見られるように、実際の政治にも影響を与え始めた。
インターネットを使った政治行動「E−デモクラシー」は古い政治を打ち破る可能性を秘めている。遅ればせながら、WebSiteを開設した理由は、この1点につきる。
双方向が基本
ネットの特徴は様々あるが、政治サイトにとって大きな利点は双方向性と手軽さにある。政策を組み立てるためには、個人が生活や仕事の現場で何を考え、何を求めているか、情報を集めることが原点。ネットでは時間、場所にこだわらず情報にアクセスできると同時に、お互いに意見をやり取りできる。ネットの力を過信はしないが、古ぼけた今の政治を変えないと日本の再生もない。
今回のウェブサイトでも双方向性を第一に考えてみた。意見を交換しあう場所、意見を求める場所をそれぞれ設定した。高速・大容量の通信が可能になるブロードバンド網が広がれば、画像など手段は一気に増える。まだまだ不十分ではあるが、双方向を基本に「E−デモクラシー」を展開したい。
すでに「電子投票」が多くの方々によって研究されている。実現できれば現在の選挙行政を効率化できるだけでなく、住民投票や国民投票の活用の道を開き、行政コスト全体を引き下げることも可能だ。機器の操作、安全性の問題など技術的な課題は残っているが、具体化を急ぐべきだ。
有権者の方に参加を求める前に、政治サイドと行政の情報公開が大切になる。私が企画した民主党山形県連のHPで役員会の議事録を公開したのは、その一環だった。自分のHPでも公開の原則を貫きたい。
同時に、行政の情報公開も求めてゆく。身近な行政情報は当然のこと、地方政府の財務状況を示すバランスシート、事業の評価などは必須項目となる。また、さまざまな会議の議事録も公開すべきだ。こうした情報の管理・公開にはインターネットは最も適した手段となる。「電子政府」の前提となるのは、あらゆる情報を公開し、必要な情報にアクセスできる環境を作ることだ。情報公開法の改正を提案したい。
「世間」を超える政治に向けて
この国では、これまで「特定の人」による、「特定の人」のための政治が繰り返されてきた。戦後の日本を建て直す目的のもと、資源を集中して集めるためは、閉じた政治と行政が必要だったのかもしれない。何も行政や政治の分野だけではない。身内の論理は、社会全体に深く根ざしている。
「わが国においては、個人は「世間」という枠のなかに捉えられており、自由な個人とはいまだなっていないのである。「世間」は贈与・互酬の関係と長幼の序、そして共通の時間意識によって結ばれている。70年代、80年代の高度資本主義・高度消費社会のシステムが誕生した時、『歴史・伝統システム』としての「世間」も改めて強化されていった」
(阿部謹也 学問と「世間」より)
政治は「ふさがった日本社会」の典型例だ。新しい日本の姿を作るためには、行き過ぎた世間型政治を壊さなくてはいけない。私の目指す新しい政治はオープンに動く。政治、それに携わる政治家の「世間」を突き抜けるため、インターネットによるE−デモクラシーが風穴を開ける。
このWebSiteは小さな一歩だが、志は大きい。ご覧いただいている方々のアイデア、ご指導をいただければ幸いである。