2002年1月8日
近藤 洋介
新年、あけましておめでとうございます。
この国の可能性を信じ、天馬のように駆け回る一年でありたいと考えております。
本年も宜しくお願い申し上げます。
●人気の限度
2002年新春、山形県内の賀詞交換会を飛び回っております。会場では、新年への希望や想いなど多くの方々のお話を聞くことが出来ました。長井商工会議所会頭の横澤廣次さんから、こんな話を伺いました。
「国民全体で見ると、去年1年間で約200兆円の資産が吹っ飛んだ。よくデフレと言うが、リンゴ20キロが2千円とか、信じられない状況が身近で起きている。製造業も農業も我慢の限界状態にあり、政治、経済で何が起きても不思議はない」
小泉首相が政権を担って8ヵ月。多くの方々は全体として小泉さんの改革志向に好感を持っています。確かに特殊法人改革を見れば、これまでの自民党政権では考えられなかった方向を打ち出しました。「骨抜き」という問題点をあげつらえばキリがありませんが、「一人で、よく改革を引っ張った」という感が強いのも事実です。
こうした全体ムードの一方で、現実の個々の生活、将来の展望は開けたか? 横澤さんが指摘するとおり、暗雲が晴れているとは言えません。
毎日新聞が昨年末に実施した調査によると、「今の政治に満足しているか」との問いに「満足」(5)、「ある程度満足」(27)の合計は全体の32%。暗黒の森内閣10%に比べれは大幅に増えましたが、32%という数字は10年前の宮沢内閣の水準に戻ったに過ぎません。過去の水準に照らせば、「中の下」というのが実態です。
「痛み」が足音をたてて迫り、金融も緊迫感が続いています。BSE問題処理に見られる政治家と行政のドタバタ劇を見せられて、多くの方はクールな目で政治を見ています。やはりリーダー1人では限界があります。政治全体の根本を変えるため、国会の入れ替えが不可欠です。
●世代交代が政治を動かす
なぜ国会の入れ替えが必要なのか。それは、ニッポンの「国富」(国民の資産・財産)を増やす新しい仕組み打ち立てる政治に変えることが、21世紀の国づくりの条件だからです。資産が増える筋道、環境が整ってこそ、個人や組織が将来に展望を持って動くことが出来ます。
ゴーン氏率いる日産自動車、IT不況に直面する大手電機各社、こうした大企業は人員整理で業績回復に取り組んでいます。確かに人件費20分の1の中国企業と対抗するためには、経営として必要な手法でありましょう。
国や地方政府は企業とは成り立ちも役割も異なります。一企業は人員を削減できても、国家や地方政府は、国民をリストラすることはできないからです。一昔前に流行った「清貧の思想」、最近では「米百俵」といった縮み・我慢路線は一見はもっともらしいですが、政府が目指す行動ではありません。
ここ8ヶ月の動きを見れば見るほど、「国富を増やす政治」と逆行しています。なぜか。それは小泉さんの政治家の原点をみればスンナリと理解できます。
小泉さんが自身のことを「福田元首相の門下生で、こよなく福田派を愛する派閥政治家」と語っています。福田派とは、田中角栄氏が率いた田中派から現在の橋本派と続いてきた自民党主流派と常に権力争いを演じてきたグループです。道路公団など特殊法人、郵政3事業とも橋本派の利権が絡み合った権限の牙城。小泉さんにとって、旧田中派こそ自民党政治を悪くした根源と映る。破壊が目標となっている政策に、国富を増やす視点はないのは当然です。
ここに、小泉さんといえども旧世代による政治の限界が見えてきます。僕ら新世代から見れば、過去の永田町で起きた恩讐とか闘争は関係ありません。関心の先は、子供たちの世代に日本は大丈夫なのか、です。と同時に、今後少なくとも20年から30年はここで生活する一人として、今後の社会の仕組みはどうあるべきか、にあります。これは自民党であれ、民主党であれ、新しい世代の共通項です。
旧世代とは年齢の若さを言うのではありません。過去の日本の失敗について、責任を問われる立場にいたか否か、しがらみなく、将来の責任を負うことができるか、につきます。
この国には、旧世代の政治家の方々が居座る余裕は残っていません。政権交代を実現させることが、実は政治の世代交代を一気に進める道です。私は今後も、民主党を政権を担う政党として変え、そして山形2区の衆院の議席を預かる立場をめざして動いてまいります。
●公共事業を見る視点
「国富」を増やす、とはどういうことか。どんな視点に立った政策を構想すべきか。国民の資産の一つである公共事業を例にとって考えてみます。
確かに、今の公共事業は発注の内容が割高であったり、天下り支援に化けている面もあります。。さらに1兆2千億円を投じだ東京湾アクアラインに代表されるように、明らかに無駄な事業もある。しかし、公共事業そのものが悪である、といった今のムードは疑問です。
ローマ史の大家である塩野七生さんによると、公共事業の英訳であるインフラストラクチャーの語源がラテン語。古代ローマは、まさに「インフラの父」でした。
ローマ人は紀元前3世紀から紀元後2世紀にかけ総延長8万キロの街道網、そして公共水道を始め様々なインフラを「税金」、かつ「増税なし」で建設しました。建設後600年間も使われ、2000年たった今も形を変えて同じルートが使われている。日本の高速道路の総延長が1万6千キロだから、古代ローマの壮大さと知恵に圧倒されます。
ローマ人の公共事業については、「ローマ人の物語10巻、すべての道はローマに通ず」(新潮社)に詳しく書かれています。現代の公共事業論でも参考にすべき点が多く指摘されています。少し引用してみましょう。
「ローマ人に言わせれば、インフラとは人間らしい生活をおくるために必要なこと、なのである。それを「公」が負担するのは、税金をとっている以上は至極当然なこと、と考えていた。もしも古代ローマ人が現代日本の道路公団の苦状を知ったら、不可解という顔をして言うだろう」
「借金などしないで、予算内で可能な事業だけをやること。だからこそ、何を、国がどこまで担当し、それ以外は地方自治体に、また私人の公共心にどこまで期待できるか、と言うに違いない。なぜなら、税金は上げないし借金もしないと決めた以上は、それで可能なことを明確にし、それ以外は地方自治体や私人にまかせなければ、大事業になりことだけは明らかなインフラ工事などやれないからである」
古代ローマから2000年の21世紀。日本人にとって、人間らしい生活をおくるため必要なこと、とは何か。道路か、医療か、情報か、それとも環境、教育か。ハードであれ、ソフト事業であれ、本来の公共事業を整理し、堂々と進めることが国の役割です。
ある意味で小泉さんをはじめとする改革派、そして民主党も旧世代の政治は利権の巣窟としてしか見れないから、「公共事業=悪」となります。また改革派よりも始末におえない族議員と呼ばれる「今さえ良ければ派」は必死に現状維持を訴えるのです。
この場合、一般には「改革派」は優位です。「族」とレッテルを貼られた方々も、これまで無茶苦茶を繰り返してきたためです。例えば農業土木。土地改良=あたらな田畑づくり、または大規模化=を進める農業土木事業は、水田の3割超も減反を強制している農業政策の枠組みでは、その存在自体が怪しげになりつつあります。
もっとも、総額で10兆円を超える公共事業を仕切ってきた国土交通、農水省も黙ってはいません。このままでいくと、その落し所は「都市再生」という看板に書き換えた「大都市バラマキ」と姿を変える可能性が大きいでしょう。なんてったって、人気の小泉さんは大都市=神奈川=選出。反対はしないからです。
しかし、「改革派」対「抵抗勢力」という今の図式は、塩野さんの指摘している公共事業の本質を見落としています。
私も大学時代、社会人と15年間、東京に生活してきました。通勤地獄に代表される都市生活者の気持ちもわかります。その上で、これだけは明確に言えます。
大都市バラマキ事業を進め、これ以上、大都市に日本人を押し込む状況を作ることが、「人間らしい生活をおくるため必要なこと」とは到底思えません。明治以来、続いてきた中央集中を続けることが「21世紀維新」ではないはずです。
新しい政治として、国、公としての社会的共通資本、インフラの中身を整理し、かつ堂々と進めるべきです。これが国民の資産を増やす最初の一歩です。「破壊」は小泉さんにお任せするにせよ、将来に責任を負う新世代として「創造」に取り組むことを私はテーマにすえたいと考えます。
限られた財源を有効に使うためには、わかりやすい情報公開、意見の集約は必要です。また、住民へのサービスは可能な限り身近な政府である地方自治体が担うべきであり、分権社会を整えなくてはいけません。ただ、これらは、あくまでも手段に過ぎません。
21世紀に生きる私たちにとって「人間らしく生きる必要なこと」を提案し、選ぶ政治を実現するため、私は動きます。