沖縄県への出張の最終日、那覇市にある旧海軍司令部壕を訪ねました。
昭和19年に米軍との持久戦を続けるため日本海軍設営隊によって掘られた地下陣地で、4000人の兵士が収容され、戦場に向かいました。
司令官の太田実少将はじめ幹部6名は、米軍の猛攻に昭和20年6月13日夜半に拳銃自決されました。
死を前にした太田少将が海軍次官宛に打電した電報は、沖縄県民の献身的な作戦協力を述べ、讃えたものとして有名です。
打電文の最後には、当時は軍部の電文にありがちだった「天皇陛下万歳」はなく、こう記されています。
「一本一草焦土ト化セン 食糧六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ 沖縄県民斯ク戦へリ」
「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
今を生きる政治家として、不戦の誓いを心に刻みました。